【第1話】転職を余儀なくされ、住宅ローンの返済が心配…

前島家の売却体験記 第1話

5回にわたって、「不動産売却塾」の卒業生である前島和男さんの住宅ローン地獄からの脱却記録をお届けします。会社の事業縮小のあおりを受けた前島さん。彼には、どのようなことが待ち受けているのでしょうか?それでは、第1話をお届けします!

体験記・第1話

現在の会社は、私にとって2社目。なんとか家族を支えて頑張っているが、ここに来るまでは、大きな試練と地獄の日々がありました。ここでは、私と家族が苦しかった日々から脱却できるまでを綴ろうと思います。

私の前職は、電機関連の開発職。入社してから15年、最初は営業を経験し、やっとの思いで希望の開発の仕事ができるようになったのです。

会社の経営も順調のはずでした。私は希望に燃えて、毎日充実して仕事をこなしていたのですが・・・。

2013年の年明けに、今の部署が大きく変更されるかもしれないというウワサを耳にしました。そのときは、単なるウワサと受け流していたのですが、時が経つにつれ、私たちが配置転換されるほどの大きな動きがあるという話になっていったのです。

その頃から、役員や上司が何やら落ち着かない様子なのは、うすうす感じていました。なんとなく、胸騒ぎが大きくなってきた2013年の春、会社は私たち社員に向けて、ある発表をしたのです。

「会社の事業縮小が決まり、開発部門は解体されることになった。開発部門は、九州の工場にある研究所に吸収される。そこで現在、開発部に所属する者は10月を目処に九州へ転勤してもらうことになる。ただ、ここの部署がなくなるため、希望者は早期退職も受け付ける」

九州に転勤。「なんてことだ!」
今の私には、ほぼ不可能な宣告だ・・・。

その理由は、車で1時間半ほどの田舎で1人暮らしをする、年老いた父。
母の亡き後、1人年金暮らしを続ける父に、私たちの家族は同居を何度も打診していました。
けれども、父の返事は「NO!」
「ここの暮らしがいい。ごちゃごちゃした都会の暮らしはごめんだ。ワシは1人でもなんとかやっていける」

そう強く話す父の希望を聞いてやることにしたのですが、最近、持病が出るようになり、病院の世話になることが増えていました。そんな父を1人田舎に置いて、私たち家族が遠く離れた九州へ引っ越しするわけにはいきません。

私は、妻と何度も話し合って決断しました。
「転職しよう」
給料や待遇もよかったので、今の会社を辞めるのは、苦渋の決断でした。
けれども、病気がちの父を1人残していくわけにはいかない。

私はギリギリまで会社に残り、2013年10月に入社以来15年間勤めていた会社を退職しました。それから続く不安な日々・・・。
小学生の娘を抱えて無職の状態になるのは、精神的にもキツイものでした。

勤めていた部署がなくなることで、退職は会社都合の扱いになり、失業保険の給付は3カ月間の待機なくもらえることになったのは、不幸中の幸いでした。

とはいえ、じっとしているわけにはいきません。
私には、守らなければならない妻と子どもがいる。
早速、職探しに向けて、行動を開始しました。

最初は思うような会社がなかなか見つからず苦労しましたが、くじけるわけにはいきません。2カ月ほど就職活動をした結果、中小企業でしたが、これまでと似たような仕事ができる会社に出合うことができ、入社が決まったのです。

そして、2014年1月から、晴れて私は転職先での新しいサラリーマン生活が始まりました。

扱うものは違うけれど、これまで培ってきた開発の知識が少なからず活かせることは、大いに助かりましたが、1つだけ問題がありました。
それは、以前に比べ、手取りが7~8万円減ってしまったこと。

早く就職できて、かつ、同じような職種で働けるところを探した結果でしたが、このご時世、以前と同じ程度の給料を見込めるところは、ほとんどありませんでした。気になることは、住宅ローンを払い続けられるかどうか、ということ。

ただ、そのときの私は早く仕事に慣れることばかりを考えていたので、「なんとかなるだろう」と、ローンについて真剣に考えることはありませんでした。

そんな私の甘さが、その後、悲劇を生むことになるのです。

マネ子先生からひとこと

突然の事業縮小による部署の解体で、会社を辞めなければならなくなった前島さん。運よく転職先が決まったのはよかったのですが、給料が激減したのは大変でしたネ。前島さんには住宅ローンがあるようですが、返済は大丈夫なのでしょうか?「なんとかなるだろう」と軽く考えてしまった前島さんに、どんな悲劇が待ち受けているか、心配だワ。次回をお楽しみに。